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文/春岡勇二

死と向き合う二人が
オスカー・ノミネート

『ラブ・アクチュアリー』(2003)や『マイ・ブックショップ』(2018)などのイギリスの名優ビル・ナイが、小雪がちらつく中でブランコに乗っている。隣家のレンガ壁がすぐそばにある小さな公園。映画の題名が『生きる LIVING』なのだから、多くの映画ファンがこれは、と思うだろう。そう、黒澤 明監督の1952年の映画『生きる』のイギリス版リメイク作品だ。舞台は黒澤映画と同年代のロンドン。仕事も私生活も無事であることをだけを信条に、判で押したような日々を生きてきた役所勤めの初老の男。ある日、病であることを告げられて、これまでの人生が砂を噛むようなものだったことを痛感する。妻はすでに亡くなって、息子夫婦とは距離があり、職場にも心開いて話す者もいない。病のことを相談はおろか告げることもできないのだ。そんなとき、かつて短い間だけ部下だった快活な女性と再会し、話をするようになって、男は町の女性たちから寄せられていた一つの陳情を思い出す……。こうストーリーを知れば、黒澤映画を知る人はオリジナルにとても忠実なことが分かるだろう。今回、脚本を書いたのは、なんとノーベル賞作家のカズオ・イシグロ。彼は若いころに観た黒澤映画に衝撃を受けたという。そして〝人から受ける評価など気にすることなく、自分のなすべきことをなす〟という人生観にとても魅力を感じたとも。第二次大戦後のイギリスは、戦争の傷跡がロンドン各地に残り、様相は東京に通じるものがあった。カズオ・イシグロは、戦前・戦後のイギリス文化への憧れと黒澤映画への憧れを一つにして脚本を書いたのだ。その成果は、今年のアカデミー賞脚色賞ノミネートでも示されている。そして、もう1部門ノミネートされているのが主演賞のビル・ナイだ。死と向き合ったとき、与えられた時間をどう生きるか。ビル・ナイの演技が心に残る。

同じように、死を意識して、残された時間の生き方をテーマにした作品が『ザ・ホエール』。主演は『ハムナプトラ』シリーズ(1999~2008)などのブレンダン・フレーザー。この映画の彼を見たら多くの人が驚くと思う。ここでの彼はメーキャップに毎回4時間をかけた、体重272㎏の中年男なのだ。なぜそんな体になったのか。それは愛する同性の恋人を失ったから。また、彼は以前異性と結婚していたことがあり、8年前、妻と幼い娘を捨てて家を出て、いまは高校生となっている娘とずっと疎遠だったことへの罪の意識もあった。遠くない死を思ったとき、彼は娘との関係修復を試みるのだが……。元は舞台劇だが、奇才ダーレン・アロノフスキー監督の映画的演出が光る作品になっている。こちらのフレーザーもアカデミー主演賞候補だ。『ザ・メニュー』(2002)のホン・チャウが主人公のただ一人の友人の看護師役でいい味を見せ、彼女も助演賞候補になっている。後悔ばかりの人生を送ってきても、それでも人生は、人間は素晴らしいと思えるか。最期の生き方が問われている。

『生きる LIVING』  3月31日(金)公開
PG12
TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズ二条、OSシネマズミント神戸 ほか
監督/オリヴァー・ハーマナス 出演/ビル・ナイ、エイミー・ルー・ウッド、アレックス・シャープ、トム・バーク ほか

©Number 9 Films Living Limited

『ザ・ホエール』  4月7日(金)公開
PG12
大阪ステーションシティシネマ、T・ジョイ京都、kino cinéma神戸国際 ほか
監督/ダーレン・アロノフスキー 出演/ブレンダン・フレイザー、セイディー・シンク、ホン・チャウ、サマンサ・モートン ほか

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※この記事は2023年5月号からの転載です。記事に掲載されている情報は掲載時のもので、記事をご覧になったタイミングでは変更となっている可能性があります。最新情報をご確認下さい。

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