CINEMA_HE-100

深掘りすればより面白い!シネマ予習帳

vol.18 『夏の砂の上』
乾いた季節の終わりに降る雨が……

映画評論家・春岡勇二がさまざまな角度で作品を掘り下げる連載。
今回は、7月4日(金)公開『夏の砂の上』を深掘りします。
映画館に行く前に予習しよう!

文/春岡勇二

©2025映画『夏の砂の上』製作委員会

 暑い長崎の夏。しかもこの夏は雨が降らず乾いていた。そんな季節に、深い悲しみと自分への怒りを胸に日々を無為に過ごしている男がいる。男は、幼い息子を自分の不注意が原因ともとれる事故で亡くし、さらには勤めていた造船所の閉鎖も重なって、以来、だらだらと過ごしている。妻は、仕事をしないことよりも、自分だけが悲しみにとらわれているかのような夫に怒り、家を出ていた。そんな男の元に、男の妹が「しばらく預かって」と17歳の娘を置いていく。気まずく始まった二人の暮らしの中で、親代わりを懸命に務めようとする男と流されるように生きてきた娘の間に、かすかなつながりが感じられるようになっていくが……。

 個人的な話になるけれど、筆者は1990年代、大阪北区扇町にあった[扇町ミュージアムスクエア](OMS)で、関西や、東京から来阪した小劇団の芝居をよく観ていた。「青い鳥」「遊◎機械/全自動シアター」「離風霊船」「南河内万歳一座」「PM/飛ぶ教室」など多くの劇団を観た。そんな小劇団の群雄割拠的な時代のなか、OMSで創設された「OMS戯曲賞」の第1回大賞受賞作が、立命館大学の卒業生たちを中心に結成された「時空劇場」の『坂の上の家』だった。作・演出は松田正隆。松田は、その翌年には『海と日傘』で岸田戯曲賞も受賞し、劇団解散後はフリーの劇作家として活躍。彼が1999年に読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞したのが『夏の砂の上』であり、本作はその映画化作だ。古くから知っているからと言って偉そうに言うつもりはないけれど、この作品がとても松田作品らしいものであることは言える。オリジナルの戯曲について、本作の監督で、自身も劇団を主宰する演劇人でもある玉田真也はこう述べている。「生きる上で避けられない痛みや、それを諦めて受け入れていくしかない虚無、そして、それでも生はただ続いていくという、この世界の一つの本質のようなもの」を描くと。それが松田戯曲なのだ。それを監督自らが映画脚本化し、今度はその脚本に魅了されたのが主演のオダギリジョーだった。彼は脚本を読んですぐにプロデュースを買って出たという。そして、男の妻に松たか子、妹に満島ひかりという実力派がキャスティングされた。さらに男と一緒に夏を過ごすことになるめいに髙石あかり、そのボーイフレンドに高橋文哉という、まさに“今が旬”と言っていい二人を起用。ここまでのキャスティングだけでも映画ファンとしては見逃せないものがあるが、ここに光石研、篠原ゆき子が加わり、極めつけは歌手の森山直太朗が重要な役で登場したのには驚かされた。

 この映画にはもう一つ、大事な要素がある。それは舞台となっている長崎の街、それも特徴的な、少しずつ離れて連なる家々を結んで延びていく坂道そのものが主役とも言えることだ。日が照り付ける坂道をオダギリジョーが、髙石あかりと高橋文哉が、それぞれ胸の奥に、悲しみや諦めや新たな恋心などを秘めて上り、下っていく。そんな人間たちの心情を、坂道の表情が繊細に語っていく。映画では、終盤にようやく雨が降り、夏の終わりが近づくと、登場人物たちはそれぞれの道を歩き出す。一つの季節を経て、映画は答えを押し付けないので観る者が判断するしかないのだが、歩き出すそれぞれの胸には小さな希望が灯っていると信じたい。それでも人は、生きていくのだから。

原作・松田正隆

松田正隆/1962年生まれ、長崎県出身。劇作家・演出家。立命館大学卒業後、劇団「時空劇場」を結成。1996年、『海と日傘』で岸田國士戯曲賞受賞。翌年『月の岬』で読売演劇大賞、1999年には『夏の砂の上』で読売文学賞を受賞。2003年「マレビトの会」結成。作品は海外でも高い評価を得ている。

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原作者の母がモデルとのこと
『紙屋悦子の青春』(2006年)
松田の同名戯曲を『父と暮せば』(2004年)などの黒木和雄監督が映画化。大戦末期、特攻隊の二人の将校の間で揺れる女性を描く。黒木監督との仕事では『美しい夏キリシマ』(2002年)の脚本も書いている。
監督/黒木和雄
出演/原田知世、永瀬正敏、松岡俊介、本上まなみ ほか

俳優・オダギリジョー

オダギリジョー/1976年生まれ、岡山県出身。1999年、舞台で俳優デビューし、翌年の『仮面ライダークウガ』でテレビ初主演。黒沢清監督『アカルイミライ』(2003年)で映画初主演。この作品と崔 洋一監督『血と骨』(2004年)で多数の演技賞を受賞した。『さくらな人たち』(2007年)で監督デビューを果たした。

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少年に慕われるおじさんを好演
『ぜんぶ、ボクのせい』 (2022年)
大阪ビジュアルアーツ・アカデミー出身の松本優作監督が、居場所のない少年と少女と二人を温かく見つめるホームレスの男との絆を描いた、優しく厳しい物語。オダギリジョーがホームレスの男を演じた。
監督/松本優作
出演/白鳥晴都、オダギリジョー、川島鈴遥、仲野太賀、若葉竜也 ほか

俳優・篠原ゆき子

篠原ゆき子/1981年生まれ、神奈川県出身。山下敦弘監督の中編映画『中学生日記』(2005年)で俳優デビュー。2011年、劇団「ポツドール」の舞台でオーディションの末、主役に抜擢される。青山真治監督の『共喰い』(2013年)で注目される。テレビドラマ『相棒』では女性刑事役でレギュラー出演中。 https://savvy.jp/wp-admin/post-new.php#

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歪んだ性癖で主人公に影響を
『共喰い』 (2013年)
田中慎弥の芥川賞受賞小説を『EUREKA』(2001年)などの青山真治監督が映画化。主人公の高校生を菅田将暉が演じ出世作となった。篠原は主人公がその関係性に悩む、性行為のときに暴力を振るう父親の愛人を演じた。
監督/青山真治
出演/菅田将暉、光石研、田中裕子、木下美咲、篠原友希子(のちに篠原ゆき子に改名) ほか

俳優・髙石あかり

髙石あかり/002年生まれ、宮崎県出身。2014年のavex主催のキッズコンテストで注目され、阪元裕吾監督『ベイビーわるきゅーれ』(2021年)で映画初主演。女子高生の殺し屋を演じ、以降のシリーズ2作にも続けて主演を務めた。2025年度後期のNHKの朝ドラ『ばけばけ』での主演が決定している。

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小さい役だけど印象的だった一作
『私にふさわしいホテル』 (2024年)
のん主演作。実力はあるがデビューできない小説家志望の女性が、担当編集者や天敵的大御所作家を巻き込みながらあの手この手でのし上がっていく。髙石は大御所作家の娘役で印象を残した。
監督/堤幸彦
出演/のん、田中圭、滝藤賢一、橋本 愛、髙石あかり ほか

MOVIE INFO.

『夏の砂の上』
7月4日(金)公開

監督・脚本/玉田真也 原作/松田正隆(戯曲『夏の砂の上』)
出演/オダギリジョー、髙石あかり、松たか子、森山直太朗、高橋文哉、満島ひかり、光石研 ほか 
上映館/T・ジョイ京都、TOHOシネマズ梅田、OSシネマズミント神戸 ほか
Ⓒ2025映画『夏の砂の上』製作委員会

文/春岡勇二
映画評論家、大阪芸術大学客員教授。原稿を書いていて小劇団の芝居を思い出す。劇団「離風霊船」の『ゴジラ』でモスラ役を高橋克実が演じていたなあ、なんてことを。

※この記事は2025年8月号からの転載です。記事に掲載の情報は掲載時のもので、記事をご覧になったタイミングでは変更となっている可能性があります。最新情報をご確認ください。

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