シネマ_ヘッダー-100

映画評論家・春岡勇二がさまざまな角度で作品を掘り下げます。今回は、8/23(金)公開 『箱男』を深掘り! 映画館に行く前に予習しましょ。

深掘りすればより面白くなる!
8/23(金)公開 『箱男』

知の迷宮を娯楽として観せる渾身の意欲作

文/春岡勇二

©2024 The Box Man Film Partners

 日本映画に少し詳しい人なら、1997年、石井岳龍(当時は石井聰互)監督の身に起きた出来事について記憶している人も多いだろう。

 長い間、映画化を模索していた企画がついに通り、日本とドイツの合作として製作されることになった。ところがドイツ・ハンブルクでいよいよ明日クランクインという日に突然、日本側の製作会社に問題が起こり、そのまま製作中止となってしまった。その企画こそ、石井監督が原作者の安部公房から映画化を託された『箱男』だった。製作中止のニュースは関係者だけでなく、多くの映画ファンを嘆かせたが、その幻の企画、幻の映画が27年という時を経て、奇しくも安部公房生誕百年にあたる2024年についに結実した。それが8月23日から公開されている映画『箱男』だ。
 監督はもちろん石井岳龍。すごいのはキャスティングで、主演の箱男である「わたし」役を永瀬正敏、箱男を利用しようとする「軍医」役を佐藤浩市が演じるが、実はこの二人、27年前にも同じ役で出演する予定だったのだ。27年前に撮るはずだった作品への、石井監督の思いの深さと自信が感じられる。

 『箱男』は1973年に発表された小説で、安部公房の代表作の一つ。完全なる孤立と匿名性を求めて、ダンボールの箱をかぶる男。気の向くままに街をさまよい、見たいものを誰に咎(とが)められることもなくのぞき見る。街を行き交う人々の中に、箱男に関心を寄せる者は少ない。たとえ、たまにそれと知って近づく者がいても、すぐに見て見ぬふりを決め込んでどこかに行ってくれる。完全なる自由。ときに浮浪者として侮蔑的な念を照射されようとも、世界を監視しているのはこちらなのだという圧倒的な優越感と、自身の存在意義を全て捨て去ることで得られる陶酔。では、その先で箱男が得るものとは……。読む者を幻惑し、知の迷宮に誘い込む作品として、長らく映画化は困難とされてきたが、それでも世界中の映画人によって幾たびか企画は立ち上がり、そして消えていった。そんななか原作者本人から映画化を託されたのが石井監督だった。そのとき原作者から言われたのは、『箱男』は娯楽にしてほしい、だったという。映画を観ると、その意志の具現化に挑んだ石井監督と出演者たちの意欲が見て取れる。そこかしこにユーモアが仕込まれ、箱男の動きは戦いを含めて愛らしい。主要キャストは永瀬、佐藤のほかに、箱男の存在を乗っ取ろうとする「偽医者」役に浅野忠信、その手先となって「わたし」を幻惑する看護婦役にオーディションで抜擢された白本彩奈、の4人で皆強烈な個性と存在感で作品を引っ張っていくが、特に超癖者俳優3人を相手にする、白本の美しい肉体の存在感が印象的。個人的には、少し脇にはなるけれど、箱男の宿敵である「ワッペン乞食」役の渋川清彦が好み。ほかの脇役に中村優子、川瀬陽太が起用されているのも通好みと言えるだろう。

 原作発表当時は特異な世界観とみられた設定だが、今や対象に躊躇(ちゅうちょ)なくカメラを向ける、暴力的とも言える“見る、見られる”の関係は制約なしに横溢(おういつ)し、匿名による誹謗中傷は特定の空間を優に超えて蔓延(まんえん)している。そんな現代こそ、「箱男」の存在意義がより深く鮮明に問われている気がする。だが、まずは娯楽作として気安く接するところから始めよう。

ORIGINAL WRITER:安部公房

1924年生まれ、東京都出身。東京大学医学部卒業。『壁』(1951年)で芥川賞受賞。以来、小説・戯曲の双方で数々の賞を受賞。作品は翻訳され、海外でも高く評価される。1973年、演劇集団「安部公房スタジオ」を結成し斬新な演出を見せる。1993年、急性心不全で急逝。68歳だった。

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穴の底にすむ妖艶な岸田今日子
『砂の女』 (1964年)
安部公房が読売文学賞小説を自ら脚色。砂地へ昆虫採集に来た教師が、あり地獄の底にあるような家に捕えられ、女との同居を強要される。武満徹、粟津潔らの才能が結集。1964年度キネマ旬報ベストテン第1位。
監督:勅使河原 宏/原作・脚本:安部公房/出演:岡田英次、岸田今日子、三井弘次、観世栄夫、関口銀三 ほか

世界中で読まれる安部文学を実証
『友達』 (1988年)
安部公房の同名戯曲を映画化。突然、家に介入してくる一家によって、次第に束縛に慣れていってしまう男の恐怖を描く。日本とスウェーデンの合作。映画『存在の耐えられない軽さ』で知られるレナ・オリンも出演。
監督・脚本:シエル・オーケ・アンデション/原作:安部公房/出演:デニス・クリストファー、レナ・オリン ほか

DIRECTOR:石井岳龍

1957年生まれ、福岡県出身。1976年に自主映画グループ「狂映舎」を設立。8㎜映画『高校大パニック』で注目される。大学在学中に『狂い咲きサンダーロード』(1980年)で劇場映画デビュー。以後、話題作を数々手掛ける。2010年、石井聰互から石井岳龍に改名した。

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浅野忠信が謎めいた運転手を好演
『ユメノ銀河』(1997年)
夢野久作による幻想的ミステリー小説の映画化作。友人を殺したかもしれない男にいや応なく引かれていってしまう、若いバスガイドの苦悩と恍惚(こうこつ)。浅野忠信が男を魅惑的に演じ、小嶺麗奈を翻弄する。
監督:石井聰互(石井岳龍)/出演:小嶺麗奈、浅野忠信、京野ことみ、黒谷友香、真野きりな ほか

金魚の化身と老作家の秘めた恋
『蜜のあわれ』(2016年)
室生犀星のシュールレアリスム小説の映画化作。金魚の化身の少女を二階堂ふみ、老作家を大杉漣が演じる。二人を近づける金魚屋役に永瀬正敏。劇中、映画館のポスターに「箱女」の文字が。
監督:石井岳龍/出演:二階堂ふみ、大杉漣、真木よう子、高良健吾、永瀬正敏 ほか


MOVIE INFO.

『箱男』
2024年8月23日(金)公開 

監督:石井岳龍/原作:安部公房「箱男」(新潮文庫刊)/出演:永瀬正敏、浅野忠信、白本彩奈、佐藤浩市、渋川清彦 ほか/上映館:MOVIX京都、大阪ステーションシティシネマ、kino cinéma 神戸国際 ほか

©2024 The Box Man Film Partners

※この記事は2024年10月号からの転載です。記事に掲載の情報は掲載時のもので、記事をご覧になったタイミングでは変更となっている可能性があります。最新情報をご確認ください。

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SAVVY11月号『神戸』
発売日 2024年9月21日(土)定 価 900円(税込)