深掘りすればより面白い!シネマ予習帳
vol.22『盤上の向日葵』
宿命に立ち向かう若き天才棋士
映画評論家・春岡勇二がさまざまな角度で作品を掘り下げる連載。
今回は、10月31日(金)公開『盤上の向日葵』深掘りします。
映画館に行く前に予習しよう!
文/春岡勇二

白骨化した死体が山中で見つかった。死体が抱いていたのは、この世で7組しか現存しない、貴重な将棋の駒だった。果たして、死体の正体は何者なのか。殺人なのか、事故なのか。将棋駒の持ち主をたどって捜査線上に浮かび上がったのは、プロ棋士の登竜門である奨励会を経ずにプロになり、今まさに日本中の注目を集める異端の天才棋士だった。
原作は、役所広司と松坂桃李がアウトロータイプの刑事を演じた『孤狼の血』シリーズ(2018、2021年)などで知られる、柚月裕子の同名小説。山中で発見された白骨死体をきっかけに、一人の若者の凄絶な過去が暴かれていく。
主人公を演じるのは坂口健太郎。将棋への情熱だけを頼りに過酷な人生を生き抜いてきた青年を、存在感のしっかりとした厚みのある人間像で造形している。青年には、父親的存在の男が3人いて、一人は青年を虐待し続けてきた男。一人は少年時代に将棋を教えてくれて、愛情をもって接してくれた人。そしてもう一人が“真剣師”と呼ばれる、賭け将棋の棋士で、青年に生きがいと絶望を与え続ける男。この3番目の、将棋指しとしての力量は最高、人間としての性質は最低という男を名優・渡辺 謙が演じ、さすがの迫力で作品全体を引き締めている。物語の芯を貫いているのが、男たちが見せる執念とも言える将棋への熱情で、渡辺 謙演じる真剣師に対抗しうる相手として登場する人物を柄本 明が演じており、二人の死闘が物語前半のハイライトになっている。一方、後半のハイライトは、坂口と渡辺のいわば子弟対決で、坂口が渡辺にも、また、柄本の芝居と比べても一歩も引かない熱演で見応えがある。そして、芯を貫くのが将棋なら、物語の底をずっと流れるのが主人公の背負った過酷な運命で、それを、二人の刑事が少しずつ明らかにしていく構成となっている。二人を演じるのは佐々木蔵之介と高杉真宙。ベテランと新米のコンビになっていて、そのキャラクターの在りようから、多くの人が、松本清張の原作を野村芳太郎監督が映画化した名作『砂の器』(1974年)に登場する、丹波哲郎と森田健作が演じた刑事コンビを想起すると思う。さらに、物語の根底にあるのが、主人公の宿命であるのも『砂の器』に通じている。本作の脚本も書いた熊澤尚人監督には、『砂の器』への意識がきっとあったと思う。そういえば熊澤監督の過去作『ユリゴコロ』(2017年)も、殺人を犯してしまうヒロインの血を受け継いだ青年が自らの宿命を乗り越えようとする物語だった。熊澤監督には恋愛映画など他ジャンルの作品もあるので、同一テーマをずっと追い続けているというわけではないけれど、宿命に打ち勝って懸命に生きようとする人間を描くのに強いこだわりがあることは間違いなく、宿命をテーマとした作品の金字塔的存在である『砂の器』へのオマージュと、さらに映画として挑んでみたい、という気持ちがあったのではないだろうか。
言うまでもないことだが、この作品は将棋を題材にしてはいるけれど、将棋のことをまったく知らない人でも問題なく物語に没入することができる。
主人公の見る唯一の光とも言える女性を土屋太鳳が演じているが、これは原作には登場しない映画オリジナルのキャラクター。原作者の柚月裕子は、映画を観て、主人公の“生ききる”姿に感動したという。それはまさに坂口の熱演の賜物(たまもの)。渡辺との競演も含めて、見どころの多い作品だ。
監督・熊澤尚人

熊澤尚人/1967年生まれ、愛知県出身。成城大学在学中に自主映画『VIDE男』で注目され、卒業後、岩井俊二監督の『スワロウテイル』(1996年)の製作に関わる一方、自身の自主映画『りべらる』(1994年)でPFF(ぴあフィルムフェスティバル)に入選。『ニライカナイからの手紙』(2005年)で劇場映画デビューを果たした。
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容赦ない愛と優しさの物語
 『ユリゴコロ』(2017年) 
人を殺すことを心のよりどころにして生きてきた女性と、その家族の苦悩と葛藤を過去と現在を交錯させて描くヒューマン・ミステリー。主演の吉高由里子が日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。
監督・脚本/熊澤尚人
出演/吉高由里子、松坂桃李、松山ケンイチ、清原果耶、清野菜名、木村多江 ほか
俳優・坂口健太郎

坂口健太郎/1991年生まれ、東京都出身。2010年に雑誌『MEN’S NON-NO』モデルオーディションに合格。『シャンティ デイズ365日、幸せな呼吸』(2014年)で俳優デビュー。『君と100回目の恋』(2017年)で映画初主演。同年『MEN’S NON-NO』の専属モデルの卒業を発表した。
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ヒロインが銀幕から飛び出して
 『今夜、ロマンス劇場で』(2018年) 
映画監督を目指す青年が、モノクロ映画から飛び出してきたヒロインと出会い恋に落ちるが、彼女にはある秘密があった。坂口健太郎と綾瀬はるかのW主演作品。映画全盛期の撮影所の様子が楽しい。
監督/武内英樹
出演/坂口健太郎、綾瀬はるか、本田 翼、
北村一輝、中尾明慶、柄本 明、加藤 剛 ほか
俳優・渡辺 謙

渡辺 謙/1959年生まれ、新潟県出身。1979年演劇集団「円」の研究生となり、1982年、劇団員に昇格。『瀬戸内少年野球団』(1984年)で映画デビュー。『独眼竜政宗』(1987年)に主演し、NHK大河ドラマ史上最高の視聴率を記録。現在多くの海外製作の作品でも活躍する、日本を代表する俳優の一人。
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 夏目雅子の遺作となった名作 
『瀬戸内少年野球団』(1984年)
敗戦直後の淡路島を舞台に、野球を通して民主主義を学ばせようとする女性教師と子どもたちの絆を描く。作詞家で作家の阿久 悠の自伝的小説の映画化作。渡辺は夏目雅子演じる女性教師を慕う義弟役。
監督/篠田正浩
出演/夏目雅子、佐倉しおり、山内圭哉、
大森嘉之、郷 ひろみ、岩下志麻、渡辺 謙 ほか
俳優・土屋太鳳

土屋太鳳/1995年生まれ、東京都出身。黒沢 清監督作品『トウキョウソナタ』(2008年)で映画デビュー。同年、ジュニアファッション誌の専属モデルになる。『鈴木先生』(2011年)で連続ドラマに初レギュラー出演し注目される。2015年、NHKの朝ドラ『まれ』に主演した。
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琵琶湖のてっぺんを目指す
『どこに行くの?』 (2008年)
『トリガール!』 (2017年)
目的もないまま理系大学に入学した女子大生が、鳥人間コンテスト出場を目指す人力飛行サークルに入部してヤンキーの先輩と共に琵琶湖の大空を夢見る……。先輩役を演じるのは間宮祥太朗。
監督/英 勉
出演/土屋太鳳、間宮祥太朗、高杉真宙、池田エライザ、矢本悠馬、羽鳥慎一 ほか
MOVIE INFO.
『盤上の向日葵』10月31日(金)公開
監督・脚本/熊澤尚人 出演/坂口健太郎、渡辺 謙、佐々木蔵之介、
土屋太鳳、高杉真宙、音尾琢真 ほか 上映館/T・ジョイ京都、
大阪ステーションシティシネマ、kino cinéma神戸国際 ほか
©2025映画「盤上の向日葵」製作委員会
文/春岡勇二
映画評論家、大阪芸術大学客員教授。10月下旬に家族で劇団☆新感線の『爆裂忠臣蔵』を観に行く。楽しみ。
※この記事は2025年12月号からの転載です。記事に掲載の情報は掲載時のもので、記事をご覧になったタイミングでは変更となっている可能性があります。最新情報をご確認ください。








