深掘りすればより面白い!シネマ予習帳
vol.21『こんな事があった』
今の日本に問う、怒りと切なる祈りの物語
映画評論家・春岡勇二がさまざまな角度で作品を掘り下げる連載。
今回は、9月13日(土) 公開『こんな事があった』を深掘りします。
映画館に行く前に予習しよう!
文/春岡勇二
かつて大阪で、単館系とかアート系と呼ばれる作品を上映していたある施設では、興行的に厳しい作品が何本か続くと決まって1本の映画を上映した。すると、その作品は何度目かの公開であったにも関わらず必ずヒットして施設の窮地を救った。それが、矢崎仁司監督の『三月のライオン』(1992年)だった(趙 万豪と由良宣子主演で兄妹の禁断の愛を描いた作品。大友啓史監督が羽海野チカのコミックを映画化した『3月のライオン』とは別作)。また、大阪の単館系映画館の嚆矢(こうし)となった[シネマ・ヴェリテ]の前身[うめだ日活地下]では、山本政志監督の劇場映画デビュー作『ロビンソンの庭』(1987年)を上映し、監督と作品の知名度を大いに上げた。このように映画館との関わりの中で、日本映画史の伝説となった作品が何本かある。中でも特に知られた作品が、松井良彦監督の『追悼のざわめき』(1988年)だろう。1988年の5月に東京[中野武蔵野ホール]で上映されると、「最低!」「最高!」双方の声が巻き起こり、同館最高の観客動員数を記録、以来同館が閉館する2004年まで毎年5月に上映され、閉館日の最終プログラムにもなった。その『追悼のざわめき』から37年、前作『どこに行くの?』(2008年)からも17年経って松井監督の新作がついに公開される。それが『こんな事があった』だ。
舞台は東日本大震災から10年後、2021年の福島。夏。17歳の少年が立ち入り禁止区域で一軒の家に近づいていく。建物の脇に咲く花に目を留める。花はどこにでも咲いていそうな草花だが少し様子が変わっている。花の形がおかしい。奇形だ。彼はかつて自分と家族が暮らしていたその家の庭で、花好きだった母と一緒に庭作りをしていた幼少期の自分を思い出す。そして、奇形の花を摘むと持ってきた保存袋に入れてかばんにしまう。やがて、母は原発事故で被ばくして亡くなり、原発で働いていた父親は、罪の意識にさいなまれ、除染作業員として働き、家族もばらばらになっていったことが少しずつ明かされていく……。
松井監督は震災後、福島に行けるようになるのを1年近く待って、直接出かけて被災地を見て回り、現地の人たちの話を聞いた。そのとき兵庫県西宮市出身の監督は、阪神・淡路大震災で全壊した実家を思い、自身の経験を思い出したという。そして、瓦礫(がれき)だらけで、全ての風景から色が消えた街を見て、この作品を創るとき、絶対に色を付けてはいけないとモノクロでの製作を決めた。また、街の惨状を観て、原発事故がなければ自然災害の猛威を知らされるだけだったのが、原発事故は極めて人災の要素が強いので腹立たしい思いになったとも。その腹立たしさともう一つ、街と人たちの心に深く宿った悲しみが、映画に登場する、青春を奪われた青年の姿に、ばらばらになった家族に、そして癒えることのない傷を負った人たちの物語となって強く静かに描かれていく。
主演は前田旺志郎に窪塚愛流。脇を柏原収史や井浦 新、波岡一喜、大島葉子らが固める。インタビューの中で監督は語っている。「被災された方の中には忘れたい、触れられたくないという方もいます。思い出すのは辛いことですが、原発事故は実際に起こった。(中略)残酷なことですが、消すことができない傷があるんです。それを語り継ぐための一作品になった、と私は思っています」と。震災や原発事故の記憶が希薄となり、原発の新設や再稼働が協議されるようになった今、主役の青年二人の拳が、震えながら握られる。
監督・松井良彦
松井良彦/1956年生まれ、兵庫県出身。1975年、石井聰亙監督と共に映画集団「狂映舎」設立に参加。『錆びた缶空』(1979年)で監督デビュー。第2作『豚鶏心中』(1981年)は寺山修司主催の劇場[天井桟敷館]で長期ロードショーを果たす。『追悼のざわめき』(1988年)、『どこに行くの?』(2008年)を発表。
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大阪発の伝説的衝撃作
『追悼のざわめき』(1988年)
大阪・釜ヶ崎を舞台に、救いようのない境遇に生きる人間たちを描く美しくグロテスクな悲劇。過激な表現で国内外で賛否を巻き起こした。2007年、デジタルリマスター版でリバイバル公開された。
監督/松井良彦
出演/佐野和宏、仲井まみ子、隈井士門、村田友紀子、大須賀勇、松本雄吉 ほか
俳優・前田旺志郎
前田旺志郎/2000年生まれ、大阪府出身。2005年に子役として仕事を始め、2007年から実兄の航基とお笑いコンビ「まえだまえだ」として活躍。『奇跡』(2011年)でスクリーンデビュー。以後、俳優として多くの映画・ドラマ・舞台に出演。9月公開の映画『ベートーヴェン捏造』にも出演している。
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是枝作品で映画デビュー
『奇跡』 (2011年)
九州新幹線全線開通を機に製作された企画映画。両親が離婚して、福岡と鹿児島に離れて暮らす兄弟が、新幹線の開通をきっかけに、ばらばらになった家族の絆を取り戻そうと奮闘する姿を描く。
監督・脚本/是枝裕和
出演/前田航基、前田旺志郎、内田伽羅、
橋本環奈、オダギリジョー、大塚寧々 ほか
俳優・窪塚愛流
窪塚愛流/2003年生まれ、神奈川県出身。豊田利晃監督作品『泣き虫しょったんの奇跡』(2018年)で俳優デビュー。2021年に本格的に活動を始め、塩田明彦監督作品『麻希のいる世界』(2022年)などに出演。篠原哲雄監督作品『ハピネス』(2024年)で初主演。今年、NHK製作のドラマ『あおぞらビール』にも主演した。
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初々しいカップルを好演
『ハピネス』(2024年)
嶽本野ばらの同名小説を、『月とキャベツ』(1996年)などの篠原哲雄監督が映画化。付き合っている由茉から、あと一週間の命と告げられた高校生の雪夫は、残された時間を彼女に寄り添うことを決意する。
監督/篠原哲雄 原作/嶽本野ばら
出演/窪塚愛流、蒔田彩珠、橋本 愛、
山崎まさよし、吉田 羊、青木美沙子 ほか
俳優・柏原収史
柏原収史/1978年生まれ、山梨県出身。1994年、俳優デビュー。黒木和雄監督作品『スリ』(2000年)で日本映画批評家大賞新人賞を受賞。同性愛に揺らぐ青年とニューハーフとの恋愛を描いた松井良彦監督の前作『どこに行くの?』(2008年)では主演を務めた。2本続けての松井作品への出演を喜ぶ。
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人を愛せない青年が出会ったのは
『どこに行くの?』 (2008年)
幼い時に両親を亡くし、父親代わりの男から受けた性的虐待がトラウマとなって誰のことも愛せないでいた青年が、バイクではねてしまった女を部屋に連れてきて介抱すると……。衝撃的なラブストーリー。
監督・脚本/松井良彦
出演/柏原収史、あんず、佐野和宏、
朱源実、村松恭子、長澤奈央 ほか
MOVIE INFO.
『こんな事があった』
9月13日(土) 公開監督・脚本/松井良彦
出演/前田旺志郎、窪塚愛流、柏原収史、波岡一喜、近藤芳正、井浦 新、大島葉子 ほか
上映館/京都シネマ(9/26〜)、シネ・ヌーヴォ(9/27~)、元町映画館(9/27~10/3) ほか©松井良彦 / Yoshihiko Matsui
文/春岡勇二
映画評論家、大阪芸術大学客員教授。京都で1930年製作の日本のアニメーション『煙突屋ペロー』を観た。良い体験でした。
※この記事は2025年11月号からの転載です。記事に掲載の情報は掲載時のもので、記事をご覧になったタイミングでは変更となっている可能性があります。最新情報をご確認ください。