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イラストレーターの久保沙絵子が、毎月1冊をピックアップして、勝手にその本の表紙を制作する企画。イラストが描き上がるまでを追いかけます。7冊目は、井伏鱒二の代表作『黒い雨』。広島への原爆投下後の被爆者の生活を描いた戦争小説で、日記形式で進み、被爆の実態とその後の差別や苦悩を静かに訴える……。戦争の悲惨さと人間の尊厳を深く問いかける重厚な作品。

久保沙絵子/イラストレーター。風景画をはじめ、超絶細密なタッチが特徴。雑誌やウエブなどで活躍中。

8月は原爆が落ちた月です。あれから今年で80年。
過去が遠くなればなるほど原爆投下の現実味は色あせて、ただの歴史の一部に過ぎなくなってしまうようで、とても不安な気持ちになります。
学生の頃、歴史の授業ではたくさんの出来事とその年号をテストのための知識として一時的に頭に入れていましたが、その中でも原爆に関しては、テスト前に語呂合わせで覚えるような出来事でなく、私たちがいる未来に、もっと悲惨な形で起こり得る可能性があるからこそ、きちんと知って、自分の価値観の素にしなければいけない気がしていました。
知ることは怖いけれど、知らないことはもっと怖いです。
黒い雨は、”知っている人”になるためにぜひ読んでおきたい1冊です。

『黒い雨』
著/井伏鱒二
新潮社(新潮文庫)

主人公は自身の被爆日記の付録編として、戦時中の食生活をまとめた手記を妻のシゲ子に書かせました。

闇市で買った魚は焼くと近隣に臭ってしまうので、煮るか、おすましにする。三つ葉などの野草は日課のように摘みに行く。配給のタマネギは食べずに植えて葉を摘み取り食べる。など、当時の食生活について詳しく書かれています。
最後に”戦争というものは、老若男女を嬲り殺しにするものだということがよく分かりました。”と締めくくられていました。

シゲ子の手記を読むと、今が魔法の世界のように感じられます。
ハンバーグでもおにぎりでもアイスでも羊羹でも食べたくなったら、お財布持って出かければ1時間とかからずありつくことができます。
「あぁ、今はなんてありがたい……。」と、思います。
思いながら、ミスタードーナツに行ったときにフレンチクルーラーが売り切れていて、「フレンチクルーラー、あそこのお店いっつもないわ〜。」と文句を言った少し前の自分を思い出しました。
いっつもないのは本当なのですが、不満っぽく言うのはいけなかったです。

こんなふうにシゲ子の手記から得た学びを、戦争を知らない(経験したかどうかでなく深く考えたことがない)人に伝えたくなったときの伝え方が、私はずっと分かりません。
「戦争中は食べ物がなくて辛い時代があったから、私たちは日々感謝して食べ物を食べないとだめなんだよ。」と伝えたところで、きっとそれは単なる正しい言葉にしか聞こえません。
言葉は心を通過せずに耳から抜けていくでしょう。
それに、伝える私も、朝食のバナナから、お昼ごはんの冷凍うどん、おやつのパックンチョ(1番好きなお菓子の一つです)、夜ごはんの納豆とお味噌汁、その後デザートの蒟蒻畑に至るまで、全てに丁寧に思いを巡らすことはできません。
だからせめて、スケジュール帳の日付に毎年ハッとするのです。

スケジュール帳に大安、仏滅など細かいところを書いていきます。

本とスケジュール帳の側面の紙の質感を描きました。

机の上の本3冊を描きます。
左にあるのが今書いている『黒い雨』。
重なっている上の本は吉村昭の『月夜の魚』。この本は、”死ぬ”ということをふんわりと掴める本です。読んだ後はお葬式に参列した帰りのような気持ちになります。
重なっている下の本は田辺聖子の『孤独な夜のココア』です。昭和の恋愛小説で、友人が貸してくれました。孤独を感じた時は、サバサバしたらいいのかなと思いながら読んでいます。

奥に、ビクター犬の置物と時計を描きます。
ビクター犬は祖父が亡くなった後に譲り受けた古いもので、時計は骨董品店で見つけたものです。

右奥に丸いペン立て、その手前に四角いシガレットケースを描きました。

シガレットケースも骨董品で、アクセサリー入れにしています。

主人公の日記は続きます。
主人公は、原爆投下後の広島を歩き、妻のシゲ子と姪の矢須子と落ち合うことができます。
そして、安全な場所を求め、3人で焼け野原の街を再び歩いていきます。
焼けた鉄線で靴を溶かしながら、目を背けたくなるような風景の中を歩き、やっとの思いで、主人公が勤めていた工場に到着します。

工場にはたくさんの人が運ばれてきます。
もうすでに亡くなっている人、ケガを負った人。重傷を負った人も、自力で工場まで辿り着きますが、翌日亡くなります。
亡くなっている人、亡くなる人があまりにも多く、死亡届もお葬式も火葬も受付けてもらえる状況でないため、火葬や埋葬は周りの人が行います。
主人公は工場長からの命令で、近くのお寺でお経をノートに写し、お坊さんの代わりに死者が出るたびにノートを見ながら読経します。
最初は棺桶を作っていましたが、材料がなくなった後は遺体の前での読経となりました。
広島の焼け野原の中、たくさんの無惨な遺体を目にし、主人公が無意識のうちにお経を読み上げる場面もありました。
そんな中、工場の石炭が底をつきそうだということで、主人公は石炭の配給の嘆願をしに、焼け野原の中、広島市庁舎へ向かいます。
道中、岸の草むらに右目が潰れ羽を焦がした白い鳩がうずくまっているのを見つけます。
抱えてぱっと空に放つと、うまく羽ばたきして放物線を描きながら飛んで行きましたが、田んぼの中へ落ちて行きました。
鳩の文章はほんの2、3行ですが、平和の象徴がボロボロになり死んでいく様子が、この小説そのものを表しているように感じました。

私の部屋の壁には、2016年に国立国際美術館で開催された田中一光さんの特別展のポスターを貼ってあります。
『黒い雨』で鳩の文章を読み、キノコ雲を背景に1羽の白い鳩がデザインされた、田中一光さんの作品”ヒロシマアピールズ”を思い出しました。

文章でも音楽でもデザインでも、原爆や戦争のことを、残さなくてはいけないという意志を持って生み出されたものに出合うたびに、私の平和に対する思いの芯も強くなるような気がします。

WEB連載「久保沙絵子の勝手に表紙作ります。」は、毎週水曜更新!次回は、8/27(水)公開予定です!
著者

久保沙絵子

大阪在住、雑誌やウエブなどで活躍中のイラストレーター。風景画をはじめ、超絶細密なタッチの作風が特徴。線の質感にこだわり、作品はすべて一発書き! 制作は、生命保険の粗品のスヌーピーのコップで白湯を飲みながら。また、街中でスケッチすることも。もし、見かけたらぜひ声をかけてください。

  • Instagram
    @saeco2525

※過去記事は、ハッシュタグ #久保沙絵子の勝手に表紙作ります をクリック

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