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映画評論家・春岡勇二がさまざまな角度で作品を掘り下げます。今回は、1月17日(金)公開 『敵』を深掘り! 映画館に行く前に予習しましょ。

深掘りすればより面白くなる!
1月17日(金)公開 『敵』

筒井文学の野心作に俊英スタッフが挑む

文/春岡勇二

ⓒ1998 筒井康隆/新潮社 ⓒ2023 TEKINOMIKATA

 人生百年時代などと簡単には言いたくないけれど、今や多くの人間が70代、80代をどう生きるか、生きられるのか、を考えなくてはならないのは間違いないことだろう。『敵』は、『時をかける少女』『パプリカ』といったSF作品や、『文学部唯野教授』のようなメタフィクションの快作など多くの代表作を持つ作家·筒井康隆が、1998年、自身が60代半ばとなる頃に、70代半ばの男を主人公にして発表した小説。一部では、老人文学(この呼び方もどうかと思うが)の最高峰とも言われている。それを『桐島、部活やめるってよ』(2012年)、『紙の月』(2014年)などの吉田大八監督が映画化したのがこの作品だ。
 主人公·渡辺儀助、77歳(原作では75歳で、映画はプラス2歳となっている)。20年前に妻に先立たれ、以来、東京の山の手に建つ実家の古民家で一人暮らし。元大学教授で、フランス近代文学の研究では斯界(しかい)の権威だが、10年前、自身の構想よりも少し早くに職を辞し、今はときおり依頼される講演をこなす程度。毎朝同じ時間に起きて食事を作り、食事を楽しむ。食後のコーヒーは豆からひいて入れる。映画は、儀助のこの静かで丁寧な暮らしぶりを、なんとモノクロの映像で緻密に捉え、観る者との間に初めは若干の距離を置くが、やがて観る側がモノクロ映像であることを忘れる頃には(そうなるのだ)、儀助の暮らしは観る者が夢想する自身の将来の姿とほぼ同一化していることに気づく。『ドライブ・マイ・カー』(2021年)、『違国日記』(2024年)など近年も充実した仕事が続く四宮秀俊カメラマンの見事な仕事。観る者は、身近なものになった儀助の丁寧で静かな暮らしぶりに安堵し憧れる。ところが、しばらくするとある疑問が頭をもたげてくる。こんな老後の生活で本当にいいのか。このまま最期の時を迎えていいのかと。そのとき映画の中で小さな引っ掛かりが起こる。儀助のパソコンに「敵がやって来る」と書かれたメールが届くのだ。普段なら詐欺やフィッシングメールを軽くあしらう儀助だが、なぜかそのメールが気にかかる。やがてそこから儀助の清廉な暮らしに少しずつ白濁が混じる。亡き妻の姿を頻繁に見るようになり、話しもして、現実と妄想の境が曖昧になっていく。一方で、元教え子の女性や、行きつけのバーで知り合った女子大生への、確かにあっても自分の中で飼いならしてきたはずの欲望がうごめき出す。いったい「敵」とは何なのか? 老いか、認知の乱れか、死の恐怖か。そして、それは断固拒否するべきものなのか、受け入れて不安と恐怖の恍惚(こうこつ)に浸るべきものなのか。
 儀助を演じるのは長塚京三。実際にパリ大学ソルボンヌ校で学んだインテリ俳優であり、この役にまさにうってつけ。当人は「敵」について、生前の妻に充分な愛情を注がず、人生そのものを高をくくって生きてきた、知的な俗物だった儀助が受けるある種の復讐ではないかと言う。面白い。妻を演じるのは黒沢あすか。教え子は瀧内公美で女子大生に河合優実という、まさに旬でありどはまりのキャスティング。「敵」の正体は、観る者一人一人が解釈するしかないけれど、きっと40代以上の人はどこか身につまされ、20代30代の人はあとできっと思い出すことになる。そんな映画だと思う。こんな作品を体験することは、人生のちょっとした、でも気の利いたスパイスとして貴重ではないだろうか。

原作は、『時をかける少女』『パプリカ』など
多くの代表作を持つ筒井康隆

筒井康隆/1834年生まれ、大阪府出身。同志社大学卒。処女作品集『東海道戦争』(1965年)を刊行。『虚人たち』(1981年)で泉鏡花文学賞、『朝のガスパール』(1992年)で日本SF 大賞など受賞作多数。1996年12月、3年3カ月に及んだ断筆を解除。本原作『敵』は1998年に刊行された。

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主題歌も大ヒット
『時をかける少女』 (1983年)
1967年刊行の筒井康隆の原作を名匠·大林宣彦監督が映画化。主演の原田知世の人気を決定づけたSF青春ファンタジー。時間を超越する能力を得た少女の初恋を描く。後にアニメ映画も作られた。
監督/大林宣彦
出演/原田知世、高柳良一、尾美としのり、入江若葉、入江たか子、上原 謙 ほか

世界的評価を得た傑作アニメ
『パプリカ』 (2006年)
筒井康隆が1993年に発表した同名小説を原作に、『千年女優』(2002年)などの今 敏監督がアニメ映画化。夢に潜入して精神疾患を治療する夢探偵パプリカと悪夢で人を操るテロリストとの闘いを描く。
監督/今 敏 
声の出演/林原めぐみ、江守 徹、  堀 勝之祐、古谷 徹 ほか

監督は、『紙の月』『桐島、部活やめるってよ』の
吉田大八

吉田大八/1963年生まれ、鹿児島県出身。大学卒業後にCMディレクターとなり、数本の短編を経て『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2007年)で長編デビュー。『桐島、部活やめるってよ』(2012年)、『紙の月』(2014年)などで評価され近年の作品に『騙し絵の牙』(2021年)がある。

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彼女が欲しかったのは……
『紙の月』 (2014年)
角田光代によるベストセラーの映画化作。年下の恋人のために顧客の金を横領してしまう人妻銀行員を、宮沢りえが表情豊かに演じて数々の主演賞を受賞。彼女の代表作となった。恋人役は池松壮亮。
監督/吉田大八
出演者/宮沢りえ、池松壮亮、小林聡美、田辺誠一、大島優子、石橋蓮司 ほか

主人公·渡辺儀助を演じるのは、長塚京三

長塚京三/1945年生まれ、東京都出身。パリ大学ソルボンヌ校在学中にフランス映画『パリの中国人』(1974年)で俳優デビュー。『ザ・中学教師』『ひき逃げファミリー』(共に1992年)で毎日映画コンクール男優主演賞を受賞。大河ドラマ『篤姫』(2008年)出演も話題となった。

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荒れた学校のプロ教師
『ザ·中学教師』 (1992年)
いじめ、不登校、校内暴力などに揺れる中学校で、自分の子供との問題を抱えながらも、次々と起こる事件に冷静に対処し、自身の教育信念を貫く教師を描く。プロに徹する姿が長塚京三にはまった。
監督/平山秀幸
出演/長塚京三、藤田朋子、金山一彦、谷 啓、風吹ジュン、樹木希林 ほか

MOVIE INFO.

『敵』
1月17日(金)公開

監督・脚本/吉田大八 出演/長塚京三、瀧内公美、河合優実、黒沢あすか、中島 歩、カトウシンスケ ほか 上映館/T·ジョイ京都、テアトル梅田、シネ·リーブル神戸 ほか
ⓒ1998 筒井康隆/新潮社 ⓒ2023 TEKINOMIKATA

文/春岡勇二
映画評論家、大阪芸術大学客員教授。12月1日に神戸でキリコ展を観る。映画の日に神戸にいることに感慨あり。

※この記事は2025年2月号からの転載です。記事に掲載の情報は掲載時のもので、記事をご覧になったタイミングでは変更となっている可能性があります。最新情報をご確認ください。

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