阪神・淡路大震災から30年目の節目として、兵庫県のミュージアムや施設ではさまざまなプロジェクトが企画されています。今回、[兵庫県立美術館]と[デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)]という少し毛色の異なる二つの施設の担当者に、各企画紹介と共に、「アートと震災」について語ってもらいました。
震災とアートの関わりとそこから生まれる可能性
語っていただくのは……
兵庫県立美術館・学芸員 小林 公さん/1976年神奈川県生まれ。2004年から兵庫県立美術館へ。近年の担当展覧会は『描く人、安彦良和』(2024)、『生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真』(2023)、『李禹煥』(2022)ほか。
デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)企画担当 大泉 愛子さん/1982年宮城県生まれ。2019年から[KIITO]へ。近年の企画は、『巡回展 わたしは思い出す 10年間の育児日記を再読して』(2021-22)、『イイダ傘店 翳す』(2022-23)など。
―この30年間、震災にまつわる企画はそれぞれのやり方で行われてきました。
小林 [兵庫県立美術館]は、阪神・淡路大震災の復興の文化的シンボルとして2002年にオープンしたという経緯もあって、震災から5年、10年、20年という節目にも震災と向き合う展覧会を企画してきました。これまでの当館の取り組みと今回はどう違っているのかは、展覧会タイトルにも表れていると思います。
大泉 『1995⇄2025 30年目のわたしたち』ですね。
小林 はい。30年という時間のスケールって、ひとつ世代が変わるような時間の長さですから。これまでの展示は1995年に何があったのか、そこからどう歩んできたのかに向き合うものでしたが、今回は、未来へ向かっていくような、希望とも呼べるようなメッセージを盛り込めないかと考えました。これまでの展覧会にもそういったものが全くなかったわけではないけど、まだ傷跡も生々しいなかでは不用意に発せられるメッセージではなくて。ですので、タイトルにある矢印も、過去と未来と両方の先を指すものとして使っています。
大泉 「わたし」ではなく「わたしたち」という言葉も開かれた印象を受けます。それが出品作家なのか、鑑賞者か、はたまた……。
小林 そのあたりもこちらからは決めきらずに、自由に受け取ってもらえたらなと。
大泉 [KITTO]でも、実は2012年の開館前から震災に関するプロジェクトをスタートしていた経緯があって、震災に関わる試みはさまざまに行ってきました。とりわけ防災を軸にした取り組みが多いのですが、今回の話につながるところでいえば、2021年に『わたしは思い出す』という展覧会の巡回展を[KITTO]で開催したことが大きいです。これは、東日本大震災を経験した一人の女性の育児日記を起点としていて、ご本人が日記を再読して回想したモノローグから構成されています。記憶を再び記録した回想録ですね。プライベートな日記という、個人を主語として語られたテキストを軸とすることで、大きな主語では取りこぼしてしまうような記憶や言葉、その背景にあるストーリーまで想像できる内容でした。これを阪神・淡路大震災の日に合わせて開催したことで、この展覧会を通して東日本大震災とつなげて考えるきっかけにもなりましたし、当事者、非当事者に関わりなく開かれた場を作ることができたのではと考えています。
小林 いい展示でしたよね。当事者、非当事者という言葉には、人にある種の態度を迫るような強さがありますが、そこもうまく回避されていて。展示室から窓越しに神戸の街も見えていたのも良くて、神戸ではない街での経験が語られているはずなのに、やっぱり神戸と関わりのある展示なんだという感覚を抱いたことも覚えています。当館でも、震災をテーマにした展覧会に足を運ぶことをためらう人が少なくないという実感はあって、それも当然だと思うんです。そのことは決して忘れずに企画を進めていかなければと思っています。
―[KITTO]では、震災30年で『災間スタディーズ』としてすでにトークイベントなどを開催しています。
大泉 『わたしは思い出す』展で開催したトークイベントに参加いただいた「阪神大震災を記録しつづける会」事務局長の高森順子さんを始め、東日本大震災や新潟の中越地震などもリサーチしている研究者らもメンバーになった「災間文化研究会」と協働しているプロジェクトになります。震災を経験したのは神戸だけではないので、他の地域での実践や知見を共有するとともに、記憶の継承や活用といった点で、そこで生まれた表現に光を当てることで、震災を知らない世代にも届く場を作りたいという意図があります。
小林 『30年目のわたしたち』に関わっている学芸員は私含めて5人いて、今の美術館の前身となる[兵庫県立近代美術館]で震災を経験した学芸員もいれば、95年以降に生まれた若い学芸員もいます。それは展覧会の参加作家も同じで、阪神・淡路大震災を直接経験したかどうかを一切問わない、ということは企画の最初から意識していました。それが30年経った今の企画にふさわしいんじゃないかなと。
大泉 どんな基準で作家を選ばれましたか。
小林 過去のある出来事に向き合って制作されている作家という言い方になるでしょうか。たとえば、米田知子さんは阪神・淡路の風景について、ほぼライフワークのように継続的に撮影されていますし、田村友一郎さんもさまざまな過去の出来事に対して独自のアプローチを続けている作家です。神戸出身の束芋さんは震災との関わりについてこれまで発言されてこなかったのですが、あらためてご自身の体験を振り返っていただくと共に記憶の曖昧さという形で制作いただいてます。
大泉 私も当時は仙台に住んでいたので、阪神・淡路大震災を直接経験していないんです。けど、神戸に住んでいると震災関連の企画やイベントに必ず行き当たって、そこで活動されている方々に出会うと、みなさんパワフルでかっこよくて、めっちゃパンクな人もいて……。大小いろんな出来事の中で戦ってきたというのもあるでしょうし、助け合ってきた経験も豊富だからか、他者への思いやりや想像する力に長けてるなって。それが神戸での表現として根付いてるようにも感じています。
小林 私も神戸は2004年からなんですが、この街で震災が話題に上るときのみなさんの話しぶりが穏やかで、デリケートなコミュニケーションのありようが最初とても印象的でした。それはきっと今でも根付いていることだと思うんですけど、そのこと自体が神戸の魅力につながっている、という言い方でいいかわかりませんけど、そう思わせてくれるところがある。まったく私の主観ですが。だから、そうした部分も今回の展覧会でなんとか表現できないかなとは考えています。
―アートやアーティストの力ということで何か言えることはあるでしょうか。
大泉 今回の[KITTO]のプロジェクトには、アーティストが直接関わってるわけではありませんが、私はやっぱりアートの可能性を信じています。震災のように直接向き合うことが大変な出来事があったときに、アートが媒介になることで、そこに関わる別の回路を柔らかく開ていくような役割を果たせるのではないでしょうか。それが同時に、直接的には震災の体験をしていない人、知らない人、その土地と関わりのない人に対してもその場が開かれていくことにつながるんじゃないかって。
小林 アートセンターなどに比べると、美術館というのは遅くて重いというイメージを持たれる方も多いと思うんです。でも、私はそのことに意味もあるのかなと近年思っていて。美術館が得意としている「物」を見せたり、「物」を残していくという役割は、21世紀の今こそ意味が増してるんじゃないかな。
―その場限りの体験があふれる中で、そこに確かにある物の力ですね。
小林 そうですね。アーティストのことで言えば、アーティストの表現は究極の「わたしの表現」だと思います。だからこそ、どこかで「わたしたちの経験」として見ることができるんだと思います。矛盾したことを言ってるかもしれませんけど。
大泉 分かります。今、進めている『災間スタディーズ』では阪神・淡路大震災にまつわる手記を集めていて、これは日記とは違って、読まれることを前提に書かれています。一人一人の経歴や物語があるんです。これを読んでいると、表現ということではないけど、「わたしの経験」が「わたしたちの経験」につながっていきそうな感じがあります。
小林 それだって表現と言えると思いますよ。そして、企画や展示に余白があることも大事ですね。言葉数を多くすればその分、相手に伝わるかといえばそんなことはなくて、ぱっと見たときには何もないくらいに見えても、鑑賞者自身が気付いていくことで経験としては豊かになる。表現ってそういうことでもあるよなと思います。
[兵庫県立美術館]
[兵庫県立美術館]の海側にたたずむ高さ6mの少女像。阪神・淡路大震災から20年のモニュメントとして2015年にヤノベケンジによって制作されたもの。その凜とした姿には勇気をもらえそう。
これまでの阪神・淡路大震災にまつわる展示と催し
[兵庫県立美術館]の23年
2002年
阪神・淡路大震災の復興のシンボルとして開館
2000年
「震災から5年震災と美術―1.17から生まれたもの」
2005年
「震災から10年」記念事業
「建築物経年変化保存計画ウクレレとナミイタの展示」
2014~2015年 「阪神・淡路大震災から20年」
2016年 髙橋耕平—街の仮縫い、個と歩み
2025年 阪神・淡路大震災30年 企画展
「1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち」
1970年から2001年までは[兵庫県立近代美術館]という名でJR灘駅北側で運営。1995年に震災の被害に遭うも、「文化の復興」のシンボルとして、旧館を継承する形で現在の地に開館。
阪神・淡路大震災30年 企画展
1995 ⇄ 2025 30年目のわたしたち
開催中〜2025年3月9日(日)
- 電話番号078-262-1011
- 住所神戸市中央区脇浜海岸通1-1-1 [HAT神戸内]
- 開館時間10:00~18:00(入場は閉館の30分前まで)
- 観覧料1,600円
- 休館日月(祝の場合は翌日休)&1/14・2/25(1/13、2/24は開館)
- アクセス阪神岩屋駅から徒歩8分
[デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)]
旧生糸検査所と旧国立生糸検査所、二つのモダニズム建築を生かし、神戸市がデザイン都市として2008年に認定されたことを機に、デザインの拠点として誕生。
これまでの
阪神・淡路大震災にまつわる展示と催し
[デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)]の13年
2011年
「阪神・淡路大震災+クリエイティブ タイムライン マッピング プロジェクト」
2012年
神戸市におけるデザインの創造の拠点として開館。
2013年 EARTH MANUAL PROJECT展を開催
2015年 BE KOBE
2020年
「災害+クリエイティブ」展
ーパーソンズ美術大学での実践と阪神・淡路大震災から25年の軌跡ー
2021年~2022年
巡回展 「わたしは思い出す 10年間の育児日記を再読して」
2024年~2025年
災間スタディーズ:震災30年目の分有をさぐる
神戸のデザインの拠点として開館以降、2011年から2020年までは「阪神・淡路大震災+クリエイティブ タイムライン マッピング プロジェクト」を開催。ワークショップなどの体験型のプロジェクトを通して、災害への学びを深める場を作っている。
阪神・淡路大震災から「30年目の手記」
開催中~2025年3月30日(日)
- 電話番号078-325-2235
- 住所神戸市中央区小野浜町1-4
- 開館時間9:00~21:00
- 入館料無料
- 休館日月(祝の場合は翌日休)
- アクセス地下鉄三宮・花時計前駅から徒歩10分
2025年秋開催
阪神・淡路大震災30年 大ゴッホ展 ー夜のカフェテラス
場所:神戸市立博物館
期間:2025年9月20日(土)~2026年2月1日(日)
阪神・淡路大震災から30年の取り組みの一つとして開催される本展は、フィンセント・ファン・ゴッホのコレクションで世界的に有名なオランダの[クレラー=ミュラー美術館]が所蔵するゴッホの作品約60点などからなる展覧会。注目は、2005年以来、約20年ぶりに来日という、ファン・ゴッホの名作と言われる『夜のカフェテラス(フォルム広場)』(1888年・油彩)。南フランス・アルルにある広場のカフェテラスを描き、夕闇とカフェの明かりの鮮やかなコントラストが見事な作品で、平坦な色塗りと勢いのある筆遣いを間近で観るチャンス! さらに、モネやルノワールなど、ゴッホと同時代の印象派の画家の作品も並ぶので、色彩豊かな絵画の世界を堪能できる。本展は、神戸では阪神・淡路大震災から30年、福島では東日本大震災から15年の節目の年に取り組む事業として企画されており、2027年に予定されている第2期の展覧会ではアルルからサン=レミ、そしてオーヴェル=シュル=オワーズに至る約2年あまりの晩年期の創作に焦点を当てた展示も。困難な人生を歩みながらも、決して創作をあきらめなかったファン・ゴッホの人生と魅力を味わってみて。
- 電話番号078-391-0035
- 住所神戸市中央区京町24
- 開館時間9:30~17:30(金・土~20:00)
- 料金未定
- 休館日月(祝の場合は翌日休)
- アクセスJR三ノ宮駅、各線神戸三宮駅から徒歩10分
写真/エレファント・タカ 取材・文/竹内 厚