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大阪から世界に羽ばたき、マドンナやクリス・ブラウン、テイラー・スウィフト、ジャスティン・ビーバーといった世界的スターのもとで、数少ない日本人ダンサーとして活躍する有働真帆さん。LAからの一時帰国のタイミングで、SAVVYが特別にインタビューさせてもらいました!

両親に勧められ、
18歳で単身アメリカへ

——経歴からお伺いしていきたいんですが、ダンスを始めたのはいつ頃ですか?
12歳のときです。ちょっと前に話題になってた某男性アイドル事務所でですね。それがきっかけでダンスに魅力を感じるようになっていきました。

——ダンスのどんなところがいいなあ、と思ったんですか?
たぶん最初はパフォーマンスです。ステージにいきなり立ってパフォーマンスするっていうのに、全身でテンションが上がって。関西って東京に比べて、バックのダンスの仕事しか来ないので、そういうときにチャンスをつかめるように、自分でダンススタジオとかに通い始めて、どんどんダンスにのめり込んでいった感じですね。あとは、親が持ってたマイケル・ジャクソンの‘Smooth Criminal’とかのミュージックビデオの中のダンサーを見て、衝撃を受けましたね。

——世界への興味って何がきっかけだったんでしょう?
両親かなと思いますね。両親がフランス留学してて、そこで出合った人たちで。家に海外からのお土産みたいな置き物とかがあって、そういうので自然と(世界を)意識してたのと。でまあ、親もそういう感覚なんで、「ニューヨーク行ったら?」って勧めてくれたのも親なんですよ。そこの理解がすごい大きかったですね。

——渡米されたのが……?
18歳だから、2005年ですね。

——最初はどちらに行かれたんですか?
ニューヨークです。やっぱりもうちょっとルーツの方の勉強をしたいなと思って。最初LAかニューヨークで迷ってたんですけど、LAはどっちかと言うとショービジネスの方で、ニューヨークはELITE FORCEとか、ブライアンとかEJOEとか(といったストリートダンスのレジェンドダンサー)がいるので。で、あともう一個、ダンスの学校でビザを発行しているのがニューヨークしかなかったんですよね。

——ニューヨークにはいつまでいたんですか?
2012年。7年くらいかな。2年ぐらい学生でいて、2008年にアーティストビザをとって。

——アーティストビザって、あんまりさらっととれないものなのでは……?
そうですね、結構難しいです。もともとそのビザの存在も知らなくて、留学したら帰ってこようと思ってたんですけど、向こうにいる間に現地の人から情報が入ってきて、可能性がちょっと見えてきて。で、ビザをとるときにダンサーとして働いてるキャリアが必要になるんですけど、そのときにもうアイドル事務所で5年間やってたのが経歴として生きて。

——全て無駄じゃないというか。
本当にそうなんです。

自己主張も大事、協調性も大事

——向こうでバックダンサーをし始めるきっかけは?
ビザとったはいいけど、そこまで「バックダンサーやりたい!」とかじゃなくて、とにかく「ニューヨークに居続けて、ダンスをしてたい」という感じだったんですけど。それでBDC(ブロードウェイ・ダンス・センター)っていうスタジオでずっと練習してたら、振付師の人に、「今マドンナのツアーでアジア系のダンサー探してるから、適役やと思うし映像送ってみたら?」みたいな感じで勧められて、そのオーディションに行ったのがきっかけです。で、そのツアーをやることになったんですけど。

——それが何年のことですか?
2009年、22のときかな。マドンナのツアー終わってからニューヨーク帰ってきて、そのまんましばらくまだニューヨークに残ってたんです。ニューヨークはどっちかって言うとブロードウェイとかシアターがメインで、アーティスト関連というよりかは、キャンペーンとかイベントとかの仕事をしてて。でもやっぱりツアーとかステージで踊りたいなーと思ってたのと、あとちょっとニューヨークに慣れてたっていうのもあって、2012年くらいにLAに行きましたね。そのあとテイラー・スウィストのツアーを2回やって、「ダンスキャプテン」っていうダンサーの中のリーダーを務めさせてもらって。あとクリス・ブラウンは結構長くやってますね。ジャスティン・ビーバー、ジェイソン・デルーロもやりましたね。一番直近で言うと、アッシャーのスーパーボウルもショーのリハーサルにアッシャー役で出ました。

——この間のアカデミー賞も拝見しました!
『バービー』の映画のですね。ライアン・ゴズリングの「I’m Just Ken」のやつで出て、あれ日本人俺だけなんです。ダンサー65人使ってるのかな? めっちゃ多いんですけど、最初のシーンに出さしていただいて。あれの振付師が、『ラ・ラ・ランド』の振り付けをしていたマンディ・ムーアって人なんですが、今回初めて一緒にお仕事させてもらって、またつながっていけたらいいなって。アカデミー賞は2回目だったんですけど、映画『トロール』のときに1回やってて。お客さんが全員セレブで、妙な緊張感があるんですよ(笑)。

——やっぱりこうお客さんにも「演る側」の視点があるから(笑)。
そうそうそう。極力ステージからいろんな人を見つけようとするけど「振りがとんでもあかんしな」って(笑)。「エマ・ストーンだ! 」とか「ジャッキー(・チェン)おる! 」とか(笑)。

——踊ってるときにお客さん見える派ですか?
うーん、ものによります。ツアーとか、何回かあるやつは全然余裕あるんですけど、ああいう「生放送一発」みたいなのは、めっちゃ緊張します。毎回自分のキャリアを呪うくらい緊張する。ジャスティン・ティンバーレイクのスーパーボウルに出たときも、一日中吐きそうで。「やばい、やばい、やばい」って(笑)。あれは慣れないですね。

——そうそうたるネームバリューのアーティストのバックダンサーを経て学んだことはありますか?日本でダンスをやってたらできない経験が、たくさんあると思うんですけど。
自分で振り返ってもびっくりするくらいのことをやってるんですけど。まあほんとに最初に自分の直感を信じて、自分から場所を変えたことがよかったことだし、やっぱ(有名アーティストを)日本で見てると雲の上の存在というか、距離感に実感が湧かないじゃないですか。マドンナのときもそうなんですけど、「名前知ってるけどほんまに実在してるのかな」くらいの存在で……。アーティストといえどやっぱ生きてる人間なんで、それは毎回思いますね。「人間なんだな」と。あと学んだこと……特に海外でやってると、自分らしくというか、ほんとに自分が思うことをやることが一番だなと。海外って人数とか人種も多いし、競争率ももちろん高くて、その中でアイデンティティとか「自分とは何か」っていうのがある人が採られるので。「そろえれる」とかじゃなくて。「自分はこうだ」っていうのを提示できるっていうのが大事かなと思いますね。

——ご自身で、こういうところが評価されているんじゃないかとか、こういうところが魅力として伝わってるのかなと思うところはありますか?
まず、踊れる(ジャンルの)幅が広いことですかね。それが対応力につながるので。2時間のショーってなると、全部が全部ヒップホップじゃなかったりとか全部が全部ジャズじゃなかったりするんです。かつ、フリースタイルとか即興を任せれるっていうのも強いところかな。あとは、波風立てないというか、結構周りに合わせてるというか。ちょっとのんびりしてるタイプです。まあ、協調性があるのと。あとなんだろなー、根が真面目(笑)? 遅刻しないとか、リハの中で飲み込みが早かったりとか、俯瞰で見れるというか……多分キャプテンとかやってたときはそういうとこ(を評価されて)だと思いますね。

——そう考えたらほんとに、20年近く向こうで活躍されてることっていかにすごいことなのか、というのをひしひしと感じますね。
気がつけばって感じですけどね(笑)。

知識と経験を生かして、
振り付けにも携わっていきたい

——バックダンサー以外に、振り付けも結構長いことされてるんですか?
あんま長くはないんですけど、ちょくちょくやってて。部分的に友だちの振り手伝ったりとか、そういうのはよくやってました。BE:FIRSTの「Gifted.」は自分一人でまるまる請け負ったのが初めてだったんですけど、楽しんでできました。ダンスの仕事をいろいろやることで、知識とか動きとかいろんな経験を蓄えてるので、振り付けにも結構興味あります。

——それって向こうでの経験が生きているんでしょうか? 割と周りのダンサーもそういう感じで作っているというか。
そうですね。多分、振り付けのプロセスを仕事の現場で見て育ってきているので、ダンサーとしてやってて「これ効率悪いなー」って思ってる部分は自分なりに変えてやるし。反面教師であり、いいとこは盗もうという。

——たいへんクレバーですね……
やっぱ先々考えて「俺だったらこうするな」っていうのを考えながら……もちろん言わないですけど、自分なりに。

——じゃあその今までの膨大な量のインプットが生きているという。
やっぱその知識が財産になってるかなっていうのは感じます。

——わりとオタク派ですか?
オタク派です。かなり。めちゃめちゃ、オタクです(笑)。

——では、大阪から海外に出た経験として、読者さんにメッセージをお願いします!
本当に怖がらずに、大きな一歩を踏み出すというか、まず行ってみることが大事かなと。地元が(大阪の)松原なんですけど。松原から世界に行った人ってそんなに……あっ、ダルビッシュがいるわ(笑)。

——(笑)
とにかく、固定概念にとらわれずに、興味あったらそこに行ってみるべきかと。そうですね、当時妙に「東京―大阪派閥」みたいなのが、まあ(実際は)ないんですけど(笑)、自分のなかであったんで、どうせならじゃあ海外行ったろかなって思って。つながるアーティストの規模とかワールドツアーとか、世界に引っかかるチャンスが増えるので。

——最後に、今後の展望を教えてください!
アメリカのエンタメ業界で長くやってるアジア人や日本人って結構少なくて、数える程度なので、ここから自分がダンサーっていう立場を退いた後にどういう可能性があるのかな、というのはすごい興味があります。演出だったり振り付けとか、今までやってきたエンタメビジネスの、制作側に関わっていきたいですね。

ご自身を「のんびりしているタイプ」と形容しつつ、20年近く世界を舞台にしたエンタメの第一線で活躍し続けるタフさとストイックさ、そしてちょっとのオタク気質を兼ね備える有働さん。長年にわたる膨大なインプットが今後にどう生かされていくのか、とっても楽しみです!

Profile
有働真帆
うどう まほ
1986年生まれ、大阪出身。アメリカを拠点に、世界のショービジネス界で活躍するダンサー。日本では、ボーイズグループ・BE:FIRSTのデビュー曲「Gifted.」の振り付けを手掛けるなど、制作業にも携わる。
https://www.maho-udo.com/index.html

写真/島田勇子 取材・文/吉田暁音(SAVVY)

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発売日 2024年8月23日(金)定 価 900円(税込)